社員教育のつもりが実は「業務命令」なっていないか?
地方のある中小事業者を訪ねた時のことである。この会社は初めての訪問であった。
会社の敷地内に入ると20代前半と思われる茶髪の男性のドライバーが洗車をしていた。事務所らしきものは、敷地を入った正面の建物しかないので訊ねるまでもなくすぐに分かる。しかし、経営者に会う前に会社のレベルを確かめようと、その若いドライバーに声をかけた。
「社長をお訪ねしたのですが事務所はどちらですか」、とわざと聞いたのである。
するとそのドライバーは筆者に挨拶をし、「お待ち下さい」と言って作業の手を止め、水道の水を止めて、ホースや道具を片隅に収納した。そして、「ご案内します」と言って歩き出したのである。
事務所らしき建物は1つしかないので、「あちらです」と言って指をさせばそれだけで分かる。それなのに仕事を中断して事務所の入り口まで敷地内を先導してくれた。
その案内も普通ではない。筆者の真ん前は歩かないのだ。右斜め前を1mから1.5mほどの間隔を上手に保ちながら先導する。それに従って歩くと、筆者の視線の正面が事務所の入り口になるように誘導するのである。
そして事務所の入り口にくると、「事務所はこちらです。社長は先ほど帰社しましたので中にいると思います。後は事務所の者が取り次ぎますのでお入り下さい。私はこれで失礼します」と頭を下げて戻って行ったのである。
これら一連の動作がごく自然体なのだ。わざとらしさや、ぎこちなさが全く感じられない。失礼だが、こんな田舎の中小トラック運送事業者で、若いドライバーへの教育がここまで行き届いているとは、と驚いた。
規模の大きな会社なら訪問予定時間に受付に行くと、「お待ちしておりました」と言ってすぐに取り次いでくれる。案内の女性の人が出てきて、社長室まで案内してくれたりもする。よく教育がされていてスキがない。
しかし、このような大手事業者といえども、それは来客などに接する仕事を担当している社員の場合であり、全社員がそうかと言うと別である。その点、この地方の中小事業者の従業員教育は非常にレベルが高いと感じたのである。
社内の研修会を定期的に実施している事業者は多い。研修内容は、仕事に直結する専門的な知識やスキル・アップか、社会人、企業人としての一般常識的なものか、大別するとこのいずれかになるだろう。
その企業の業務に関する固有の内容なら別であるが、一般的な教育に関しては、経営者が誤解しているケースがおうおうにして見られる。従業員が研修を真面目に受けていれば、効果があると思っている経営者が少なくないのである。ところが実態はというと、研修などの社内教育が社員にとっては実質的には「業務命令」になっている場合があることを、分かっていない経営者がいる。
こうあらねばならない、こうあるべきだ、といった教育は、社員心理からすると「業務命令」以外の何物でもない。だから、教えられたことはその通りに実行するが、それ以上にはなっていない場合があるのだ。
つまり、客に対する挨拶や接客も本当に自分自身のものにはなっていないのである。確かに客に対して慇懃ではあっても、表面的な形式だけで、心からのものにはなっていない。
このような事業者を訪問した時には、アルバイトがマニュアル通りに元気よく挨拶するのと同じで、何か違うな、という違和感を抱いてしまうのである。
「業務命令」ではない教育とはどの様なものか?
それは、こうあるべき、という教育ではなく、どうあるべきかを自分自身が考えて判断できるようにする教育だ。
問題を投げかけて、それに対する自分の考えを頭の中で整理し、外に向かって表現できるように教育すると、社員は思わぬ能力を発揮するようになる。
社員の潜在的なポテンシャルをいかに引き出すかが本来の教育である。お仕着せのマニュアライズされた言動ではなく、自らの自然な言動にまでなった時に会社のグレードも上がることになる。
なお、「お客様のために…」といった教育は、建て前の教育である。教える方が建て前なら、教わる方も建前で形式的に聞いているに過ぎない。
誰のためでもない、自分自身のために、という本音の教育をしている事業者の方が、教育内容が従業員のものになっているような気がする。建前ではなく本音の教育の方が、経験的には効果が高いように思われる。
ここまで述べてきたように、社員のレベルも、結局のところ経営者自身に行き着く。社員を見ると経営者が予想できるし、経営者に会えば社員が想像できる。
長年の取材経験からも、誠実な経営者の会社には、真面目そうな社員が多い。そのため逆に、やや物足りなさを感じさせるようなケースも中にはあることも事実だ。一方、見てくれだけは良い経営者の会社の社員は、やはり同じような社員が多く見られるから面白い。
このような事業者の中には、時流に乗って短期間で業績を伸ばしていても、少し歯車が狂うと一気に資金回転がおかしくなってしまうのではないか、と思わせるようなケースもある。業績が急速に伸びてはいるのだが、経営体質が脆弱な観が拭えないのだ。
誠実な経営者と見てくれだけは良い経営者の企業というのは、両極を述べたまでのことで、実際には経営者も企業も様ざまである。しかし、どの様な事業者にしても、そのような経営者にはそのような社員という点では共通する。
著者紹介
森田富士夫(もりた・ふじお)
1949年 茨城県常総市(旧水海道市)生まれ
物流ジャーナリスト 日本物流学会会員
会員制情報誌『M Report』を毎月発行